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2013年6月

2013年6月30日 (日)

第七章 信じようと信じまいと No.107

No.107
二つの滝から発する轟音は互いに打ち消し合い、無とも思われる静寂が生じた。
「む、どこに消えた?」延命冠者は周りを見渡したがまったく何の気配もない。すると、突然に後ろから襟を掴まれた。
「延命冠者殿、実はわしも、多少の無頼漢でな、この人魂、貰うぞ。」
声と同時に、温存していた三つの人魂も、シギの魂と共に延命冠者の背から引き抜かれ、ぬらりと宙に浮かび出た。
「死に作法など無いのなら、ついでに、おぬしの魂も抜いておくか?」松風大人は延命冠者に顔を引っ付け笑った。
「ふざけるな!きさま、何者だ?!」
「さまよえるただの年寄りだよ。少しく悪漢だがな…。」
松風大人は延命冠者を、後ろ手におもいっきりねじ上げた。
「いのちの諸相を舐めて掛かるととんでもないぞ!」
とん、と押すと、そのままねじ上げられた腕は延命冠者の背に張り付いてしまった。
「いたたた、俺に…、こんなことをすれば、きさま、ただでは済まんぞ!あたた…。」
延命冠者は堪えきれず大声を上げた。

突然に滝の轟音が戻った。
「大人!?…私はどうしていたのでしょう?」鴫童子が息を吹き返した。
「おお、シギよ、戻ったか。」
「今しがた、不思議な夢をみていました。」

2013年6月23日 (日)

第七章 信じようと信じまいと No.106

No.106
「どのような風前の灯の魂にも延命の策はある。ここに来る者は、魂の終わる者だが、命に未練が有るなら、人の魂を食せばよい。それでは呪師走りの儀で勝負だ。」延命冠者の甲高い声が木霊した。
「まてまて、わしには未練はない。」
「いや、あるはずだ。貴公、それで終わっていいわけが無い。」
「お節介な。」
「ここに来るからには、貴公らの短い一生もすでに終わろうとしているのだぞ?成し遂げれぬことがあるだろう?」
「初めがあれば終わりもある。成し遂げるなどこだわらずとも、事は自ずからになるものだ。」
そうそうと松風大人はそこを立ち去ろうとした。

「こいつは、手ごわい術を使ってきたな。」
そう言うと、やおら延命冠者は何気なく小走りに近づき、鴫童子の背に手を突っ込み、ひょいと魂を抜き取ってしまった。
「さあ、貴公どうする?これはまずは、人質ということだ。良質の魂などは、そうそうに無いからな、かかか。ここから先には行けぬぞ。」

「死の番人とは、どうして、とんでもない無頼漢だな。」
尻尾を延命冠者に握られた魂は、ふわりふわりと浮遊した。
「死に、作法など無い。」そう言うと襟元から背に魂を押し込めた。
「それでは仕方ない、お望みのお相手いたそうか…。」声の終わらぬうちに、松風大人はそこから音もなく消えた。

2013年6月16日 (日)

第七章 信じようと信じまいと No.105

No.105
其処は、二つの滝を一望できる絶好の位置にあった。
東屋前の大岩には、ごく小さな祠が載っていた。
中にはべったりと「延命冠者」と書かれた札が張り付いていた。

「此処にこの様な祠が?」
シギは首をひねった。
「うぬ、おもしろい奴が此処にはおるようじゃ…。」
「延命冠者とは?」
松風大人は祠を覗き込んで札をしげしげと見た。
「…?はて。」
すると、其処から笑い声がした。
「むふ、ふ、ふ、…よくここに来たな。」
祠の声が滝の音に交じり木霊した。
「誰だ?」松風大人は祠に問い返した。
「俺は、白い滝所縁の番人、延命冠者だ。」
祠から張りのある甲高い声がした。
「すると、おぬし呪術師か。」シギが声をあげた。
「おう!小僧分かるか。」
「俺のは白呪術だ。俺との勝負に勝てば、場合に寄っては貴公らの魂の延命をいたそう。」
松風大人とシギの前に、笑みを浮かべた若い男が忽然と現れて言った。
「勝負?なんの勝負だ?」シギが言った。
「とぼけるな、呪師の勝負だ。貴公らもここまで来るからには呪術師であろう?」
「いや、大人は高徳の主、呪術なら私がお相手しよう!私は鴫童子と云う者だ。」
「貴公はまだ童子だが、まあよい。魂は良質そうだ…。
しかし俺に負けたら、この様に、貴公らの魂を貰うぞ。」
ぬらりと、延命冠者の背の襟から人魂が二三飛び出し頭上を浮遊した。

「生きた良質の魂を食せば二千年延命できる。どのみち人の一生は、しごく短い。
正直、何かするなどの余裕すら無い。何もせぬうちに死ぬのは怖いだろう?」
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2013年6月 9日 (日)

第七章 信じようと信じまいと No.104

No.104
「シギよ、いよいよ滝に出たな!」
松風大人は、後を歩く供の鴫童子に言った。
ふと、天空を降り仰ぐと、遠くに瑞雲が渦を巻いた。

「あの左手に見えるものは何でしょう?私には、こちらも命本来の滝に見えます。二つの滝が出会っています!」
こちらにも、負けず劣らずの滝が、豪快に白い房のような水塊を無数に落下させていた。滝の合間からは、濃緑の水柱が柔らかさを秘めて巨大に立ち上がっている。軽やかに滑ってくる泡沫の、幾千万の鈴音は鳴り止まず、かえって、辺りを深々と神秘の無音にさせていた。

「ほう!これは…。ますます驚きじゃ!滝は二つ在る。」
松風大人は、呆然と其処に立ち、口から細く気を解き放った。
大人と童子の来た深山幽谷は、そこで深い霧を抜けると一気に開けた…。中空には、幾多の磐上をほとばしる飛沫に、壮大な虹が掛かっていた。
松風大人は、しばし天空を仰いで望気して言った。
「ぷふぅ〜、やはりここは清々な気に充ちておる。しかし、誰も来ぬここまで、細々と切り拓かれた道が在るとは、まったく不可解なことじゃ…。」
細い石段は、両方の滝のいちばん良く見える東屋まで、整然と巌の洞門を抜け続いていた。
「シギよ、彼処の東屋で一休みだ。」

2013年6月 3日 (月)

第七章 信じようと信じまいと No.103

No.103
ドーナッツの穴から自らひっくり返る様に、アマナの"私"は完全にそのままひっくり返った。サナギのごとく"私"のすべての再構成が始まった。今迄とは思いも寄らない仕方で、命本来の奔出がアマナから"私"の宇宙を開いたのだ。阿頼耶識の種子の世界には思わぬ扉があった。
命本来も生きていたのだ…!

アマナの"私"の一つで在る翁は、「松風大人」という五葉の松の顕現体であった…。
ある"私"は天苗である。また、ある"私"は、因果に翻弄され、ついには人をあやめた強盗でもあった。また、ある"私"は、星辰に思索をめぐらすブリストル コーンパインの友人、物言わぬ古樹でもあった。また、ある"私"は、一生を、ただ岩盤を向う側にくり貫くためにだけ生きた乞食聖でもあったのである。またあるときは、しぶとく厄災災禍に生き抜く、土ブタと云う半人半動物精霊の"私"でもあった。
そして、その総体は、異相に於いてはカトリの神霊体でもあるのだ。

それら命本来の奔流に輝く"私"の泡沫は、葡萄房の如くに、付かず離れず結合しあい、滝の落下を目前にした…。

滝は目の前にどうどうと降り下りていた…。
飛び散る無数の白い泡沫は円型を描きながら、其々の世界を形づくって落ちて行く。
その背後には、崩落する藤色の命本来が、微塵も動かぬ水塊として轟々と落下し続けているのだ!
辺り広大な一帯に、きらきらと光る微粒子が、優雅な綺羅星の香のごとく、さらに細かく細かく降り注いでいる。

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